連載小説「潮風の行方」第三章 海洋歴史ロマン 2話
川島さんの話によると、そもそも原住日本人、つまり縄文人は、ポリネシア、ミクロネシア、東南アジアや台湾、琉球、アイヌの人々と同一の始祖を持つと言われ、環太平洋を移動して巡っていた海洋民族だと言う。
DNAからも実証はされているようだが、根拠とされている事例を挙げると、ハワイ、ポリネシア、台湾原住や東南アジア原住、琉球、蝦夷、アイヌの人々は皆、顔や身体に刺青を入れる風習がある。三世紀に書かれた中国の書「魏志倭人伝」にも、古代日本人が全身に刺青をしていると書かれている。また、それらの民族は皆、古来から「ふんどし」を巻く。イースター島のモアイですら、ふんどしを穿いて正座をしている。六尺ふんどしのように、一枚の布を臀部が出るように腰に巻く文化も、同文化圏特有の風習だという。
ふんどしで民族を定義するのもおかしな話かもしれないが、それら文化面だけでなく、世界観や宗教観、言葉などにも、近似する部分が多いらしい。
それに広い海を渡る海洋航海に必要な「カヌー」と言われる丸木舟を作るための世界最古の道具が出土しているのは、なんと日本なのだ。これは九州で出土した、一万二千年前の丸ノミ形石斧で、更に京都府舞鶴市の浦入遺跡からは、縄文時代前期(約六千年前)のカヌー本体の一部すら出土している。つまり日本列島に住んでいた古代人には、カヌーで航海をする文化があったということになる。
また、「カヌー」という言葉は、近年になって西洋人がもたらした英語のように思われがちだが、西洋人が使うカヌーという言葉の語源は、カリブ海の先住民の言葉で、更にその語源は、南太平洋の言葉に通ずると言われている。
しかしなんと古事記や日本書紀には、伊豆地方に伝わる高性能の丸木舟を表す言葉として、「枯野」や「軽野」などの文字で、「カノ」や「カノー」などと読まれ、現在の「カヌー」に近い言葉で既に表記されている。これは「カヌー」に近い言葉が文献に記されている、世界最古のものだ。
しかもそれらの文献の中で、大陸からの渡来人の政権である大和朝廷が、わざわざ伊豆という辺境の地の土着民にその船を作らせたと言うから、やはり大陸系渡来人には無い、高い造船技術を土着の日本人が持っていたという事になる。古代原住日本人が、優れた海洋民族であったという一つの証拠ではないか。
一万二千年前の丸ノミ形石斧や、縄文時代前期のカヌー本体の存在した時代が、現在知られているポリネシア文化が開花する遥か以前のものであることなどから、縄文人がカヌーを作り、海を渡って南太平洋の島々に辿り着き、ポリネシア文化を築いていったのではないかということだ。つまりハワイ、ポリネシア人と日本人の始祖は、同一の民族と言うことになる。
日本列島には紀元前三百年という太古の時代に、後に大和朝廷を作る大陸系の農耕民族が入って来て、土着の縄文系民族への侵略と混血が始まり(これは「出雲の国譲り」などの日本神話にも表されている)、ハワイなどの太平洋の島々より早い時代に海洋民族の血は薄まっていったのかもしれない。だが、深い部分でまだ、日本人には海洋民族の血が流れており、魂は失われてはいないのではないか。
つまり・・・」
延々と語った後、川島さんは俺の目を見て人差し指を立てた。
思わず、息を呑んだ。
つまり工藤さんが若い頃に、いや、それより遥か昔から、日本に独自の波乗りがあったって、決しておかしいことじゃないと、私は思うんだ」
長い話の末、やっとそこにたどり着いた。
思わず、鼻の穴を大きく広げて、仰け反った。正に、俺が望んでいた答えが、そこに垣間見えた。胸の鼓動が高鳴り、血液が沸点直前まで熱く滾った。
なんと壮大なスケールの、歴史ロマンだ。じいちゃんは正に、その壮大な海洋歴史ロマン物語の、伝説のヒーローなのだ。
そうですよね! 僕は、工藤さんの言葉を信じます! きっと何か凄い思い出があるはずですよね! その仮説を裏付けられる材料を、見つけます!」
そう叫んで、立ち上がった。そのまま飛んで行きそうな勢いだった。
苦笑いを浮かべながら、興奮する俺を宥めるように、川島さんは言った。
まあまあ、落ち着いて・・・ とりあえず、日本の波乗りの歴史でも、調べてみるかい?」
まるで掴み掛かりそうな勢いで、「はい! そうします! すぐに調べます!」と答えた。
気分はすっかり、ミステリーハンターだった。早く帰って、「イタコノリ」について調べたくて仕方がなくなった。知られざる、古代日本の海洋歴史ロマン。伝説のヒーロー、「工藤武次郎」の謎に迫りたかった。
午後の実習が、疎ましく感じて仕方がなくなった。
あれ? 今日は朝からカンファレンスだったの?」
カンファレンスを終え、川島さんの後ろからロビーを出たら、春菜さんにバッタリ出くわした。
春菜さんは入浴介助の後だったようで、濡れた白いTシャツに下着のラインをうっすら透かして、紅潮した頬の横を流れる汗を、ハンドタオルで拭きながら歩いていた。
何だか恥かしくて、赤面していないか心配になって、目のやり場に困って俯いた。
だけど声を掛けてくれたのが嬉しくて、顔から火が出そうになりながら、しどろもどろで「は、はい・・・ 昨日出来なかったから、今朝やってくださると、川島さんが言ってくれたので・・・」と答えた。
そう、良かったわね」
そう言って見せた笑顔が、今日もすごく可愛らしい。
川島さんは軽く振り返ると、一度にっこり笑って、そのまま階段を降りて行ってしまった。
ところで、さいとう・・・ はるなさん・・・」
どう呼んで良いのか分からなくて、戸惑った。
そんな俺の気持ちを察したようで、春菜さんは一度クスッと笑うと「『春菜さん』で、いいわよ」と、軽く応えた。
はい、すみません・・・」
照れ臭くなって、頭を掻いた。
春菜さんは、昨日工藤さんが言った言葉、どう思いますか?」
俺の唐突な質問に、「え?」と表情を変えた。
イタコノリのことです」
端的に言った。
春菜さんはその言葉に合点がいったと言うように一度「ああ」と頷くと、
そうね、昨日も言ったけど、私は工藤さんは、有りもしない話をする人ではないと思うの。だから何かしらの経験を、話してくれたんだと思うわ」
と言って、またあの可愛らしい笑顔になって、「それにしても『イタコノリ』だなんて、面白い言葉ね」と付け加えた。
俺、その事を調べてみようかと思っているんです」
その言葉に驚いたのか、興味を引かれたのか、春菜さんはただでさえくりくりの大きな瞳をもっと大きくして「へぇ、そうなんだぁ」と身体を反らした。
そして今度は優しく目を細めて「なんだかたった三日で、もうケアスタディーの対象者が決まっちゃったみたいね」と言った。
その言葉に、今度は俺が目を丸くした。
え?」
最後の実習なんでしょ? だったらケアスタディーで、誰かの仮想ケアプランを立てるでしょ?」
確かに、その通りだった。介護学校の学生なら誰でも、最後の実習で必ず、実際に施設で暮らすお年寄りの仮想ケアプランを立てる。そのために、一人のお年寄りについて、考察を深める。今回のことは、正に打って付けだ。
しかし、そんなことはどうでも良かった。それよりも、春菜さんが俺が最後の実習だということを知っていたり、ケアスタディーのことを気にかけてくれたりしたことに、驚いた。
思わず、しどろもどろで答えた。
は、はい。でも、まだ何も考えていなかったんです・・・」
心許ない俺に、春菜さんはさらりと言った。
私、工藤さんの担当なの」
この施設では、十八部屋ある居室を五グループに分けて、一グループに職員四~五名を担当として割り当てている。春菜さんは工藤さんの居室の入る「桜グループ」の担当リーダーだった。
もしケアプランの対象の方を工藤さんにするなら、いろいろ協力してあげられることもあると思うから、言ってね」
そう言って、わざとらしく大袈裟にウインクをして、走り出した。そのウインクから放たれたキューピットの矢が俺の心臓に突き刺さり、鼓動が止まりそうになった。
春菜さんは階段の手前で一度振り返って、満面の笑みで「頑張ってね」と言うと、急ぎ足で階段を降りて行ってしまった。
春菜さんのウインクと笑顔の余韻で、またしても金縛りに遭う。ああ、俺はもう、どうにかなってしまいそうだ・・・