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第五章 其々の思い 4話

「そう、特攻隊員だ。特攻隊はね、敵の迎撃を避けるために、夜半か明け方を目指して出撃したらしい。だから工藤さんは、愛する人や家族も置いて、夕日が沈んでいく西の海に向かって飛行した日を、思い出すのかもしれない・・・」
 そう言えばこの前、じいちゃんに「昔、飛行機に乗ってたんですね。カッコいいですね」と言ったら、「冗談じゃねえ!」とぶん殴られた。
 もし特攻隊員だったとしたら、カッコいいなんて言われたら、確かにぶん殴りたくなるだろう。何だか、工藤さんの人生が、少し分かって来た気がする。
「だけど・・・」
 一つ、合点がいかない事があった。
「だけど?」
「だけど工藤さんは、今生きて、ここにいますよね?」
「そうだよ」
 俺のその疑問に、川島さんは平然とそう答えた。
「特攻って、突っ込んで操縦者も死んでしまうんじゃないんですか? だから『特攻』なんですよね?」
「そうだね。とんでもなく、非人道的な作戦だね」
 冷静にそう言ったと思ったら、少し厳しい顔になって、人差し指を立てて言った。
「それでは・・・」
「それでは?」
「それではもし、その帰る事の許されない非人道的な作戦に、失敗したとしよう」
「え?」
「飛行機が故障して戻ったか、あるいは敵に打ち落とされて、運良く海面に着水して助けられたか」
「はい・・・」
 何を言いたいのか分からず、中途半端な相槌を打った。
「そうなった時、帰ってきたその人たちにどんな待遇が待っていたか、知っているかい?」
 突然の質問に、戸惑った。
「え? いえ、知りません・・・ 考えたこともないです・・・」
「そうだよね。あまり知られている事じゃないし」
 少し残念そうにそう言ったが、表情を戻して続けた。
「だけどそれは、藤原くんが自分で調べるんだ。この国がどんな戦争をやって、国民に何をさせたのか。あの時代のことを知らなければ、今のお年寄りの思いを、本当に知る事はできないんだよ。あの時代に、世界中でどんな理不尽な事が行われたのか、私たちはもっと、知らなければならないんだ」
 確かに、そうだと思った。今のお年寄りたちは、映画や物語ではない、現実の体験として、あの悲惨な時代を生きたんだから。
「とにかく、私が思うに、工藤さんは、何かの理由で、帰ってきた。そして帰ってきた工藤さんには、今の私たちには想像も出来ないような仕打ちが、待っていた」
「想像も出来ないような、仕打ち?」
「人格を否定され、自分の生きた証を抹消したくなるような、言葉すら忘れてしまいたくなるようなね・・・」
 川島さんは、「言葉すら忘れたくなる」という言葉を、強調した。まるで工藤さんが喋らなくなったのは、そのせいだと言わんばかりに。
 しかし確かに、そう考えるのは、自然な流れだと思った。
「あくまでも、私の仮説が合っていれば、の話だけどね」
 一度笑顔になって、そう言った。
「私が知っている限り、工藤さんは孤独な人だったみたいだよ。戸籍上、浜松の生まれらしいけど、何かの理由で、長い間両親とは離れて暮らしていたみたいだ。そのために、家族や親戚のほとんどが空襲と艦砲射撃で犠牲になったのに、一人残されてしまったようだ。まったく、民間人が空襲や艦砲射撃の標的になるなんて、理解出来ないよね。東京大空襲や原爆が、アウシュビッツとどう違うのか、納得いくように説明してほしいもんだよ。戦争は全て、ただの人殺しだよ」
 浜松と聞いて、俺は何かを思い出した。それが気になって、後半の話をほとんど聞いていない。
 そうだ、うちに下宿していた、板子乗りの書生だ。彼も確か、浜松の出身だった。
 え? 板子乗り?
 何だか、胸がざわついてきた。
 変な想像が、頭の中を駆け巡った。
 しかしこの広い世の中、趣味と生まれが同じ人くらい、いくらでもいるだろう。
 それにしても、イメージが重なり合う。
 頭が、混乱してきた。
 俺は心の中で「まさか」と言い放って、胸のざわつきを振り払った。
「だけどちょっと、最近工藤さんが、心配なんだ・・・」
 表情を曇らせて、川島さんはそう言った。
「工藤さんは最近、体調が落ちて来ている。嚥下も以前より悪くなっているようで、熱を出す事も増えている。ただでさえ肺炎を起こしやすい人だから、今、注意して観ているんだ。男性は一度体力が落ちると、一気に逝ってしまう傾向があるからね・・・ 藤原くんも何かちょっとでも変化に気が付いたら、すぐに職員に知らせてね」
 川島さんは真っ直ぐ俺を見て、念を押すような目でそう言った。
「はい、分かりました」
 俺も川島さんの目を見て、そう答えた。


「もう充分だよ! あたしの自由にさせておくれよ!」
 ばあちゃんが、泣きながら叫んで、食器をひっくり返した。
 沈黙が、流れた。
 家に帰ると、ばあちゃんと母親がまた、喧嘩をしていた。
 ばあちゃんは今日、退院日だったのだ。午前中には帰って来て、既に自分の部屋のベッドにいた。
 ばあちゃんは幸運な事に、手術をしなくても良い状態だった。
 大腿骨頚部骨折には、大きく分けて二種類ある。
 一つは内部骨折と言う股関節内部の骨折で、これをやるとそれこそ人工関節を入れる大手術が必要で、最悪、歩けなくなる。
 ばあちゃんの場合は外部骨折で、関節の外、しかも不全骨折と言い、ポッキリ完全に折れたわけでは無かったのだそうだ。
 固定してしばらく安静にしていれば大丈夫との事で、一週間程で帰って来られた。
 まったく母親の簡単な説明に想像を膨らませ過ぎて、一時はどうなる事かと肝を冷やした。
 しかし、実は安心もしていられえない事態が、新たに出てきたのだ。
 相変わらずばあちゃんは元気が無く、病院でもそろそろ歩くリハビリが必要だと言われても、拒否して一日ベッドに横になっていることが多かった。
 何もかもに無気力になって、表情や声にも精気がない。
 それだけならまだ良い。食事や水分を、摂らなくなったのだ。
 高齢者が食事や水分を取らなくなるという事は、生命の危機に直結する。
 俺はむしろ、骨よりもそっちの方が心配だった。
 この喧嘩も、それが原因で、引き起こったのだ。
 ばあちゃんの涙き崩れる姿を、俺は始めてみた。
 ショックだった。
 そのばあちゃんの背中が、本当に小さく見えた。
「いい加減にしてちょうだい。諦めずにしっかりご飯を食べて、元気に歩けるようになってくれないと、困るのよ」
 こぼれた粥を集めながら、母親が怒りを抑えるように言った。
「困るって言うのは、あんたの都合だろ! あたしゃもう、終わりにしたいんだよ!」
 その言葉は、母親の堪忍袋の限界を超えた。
「私の都合なんかじゃないわよ! おばあちゃん本人の為に言ってるのよ!」
 ばあちゃんも、引かなかった。
「あたしの為あたしの為って、あんたはいつもそれだ! いったい何があたしの為なんだい? あたしが望まない事を無理矢理させて苦しめるのが、そんなにあたしの為なのかい? 冗談じゃないよ。誰だい救急車なんか呼んだりしたのは! あたしはあん時、死んじまいたかったんだよ!」
「そんな言い方、やめてよ!」
 母親の叫び声に、一瞬の沈黙が流れた。