HOME > 連載小説

 下の絵をクリックして拡大

第三章 海洋歴史ロマン 1話

「工藤さんは昔、サーフィンをやっていたんですか?」
 唐突に、昨日の風呂場での一件を切り出した。
「サーフィンって、あの、海でやるサーフィンのことだよね?」
 川島さんが、怪訝そうな表情で「サーフィン」という言葉を強調した。
 昨日は川島さんの都合が付かず、夕方のカンファレンスが出来なかったから、配慮して午前中に話す時間を作ってくれた。午前中はロビーが空いているので、初日のオリエンテーションと同じように、広いロビーに川島さんと二人、テーブルを挟んで座っていた。
「工藤さん御本人が、そう言ったんだよね?」
 確認するようにそう言って、俺が書いた日誌をざっと眺めるように目で追った。
「はい・・・ だけど、聞いたことの無い言葉で・・・」
 自信なさげにそう言った俺の言葉に、手に取っていた日誌の、その言葉が書いてある辺りを凝視した。
「『イタコノリ』か・・・ 私も聞いた事がないな・・・」
 俺は身を乗り出して、真剣な眼差しで問うた。
「工藤さんは、認知症ですか?」
 川島さんは一瞬、俺のその気迫に押されるように少し身体を反らしたが、すぐに冷静な表情で答えた。
「いや、認知症の診断は出ていないよ。特に受診しているわけではないからね。正直普段ほとんど言葉を話さない人だから、はっきりは分からないんだ」
 春菜さんと、同じように答えた。
「だけど悲しいことに、反応が返って来なかったり、会話がちゃんと成立しなかったりすると、それだけで認知症と判断してしまう人が世の中には多い。だから、工藤さんも、そう判断されることが多い」
 確かに、斉藤加奈や他の何名かの職員も、昨日の会話から、そう思っているようだった。
「だけど数少ない会話の中で私が感じた限りでは、工藤さんは、認知症はほとんど無いと思うよ。完全に無いとは言い切れないけど、全く辻褄の合わない話をする方ではないと思う」
 その言葉に、身を乗り出して「そうなんですか?」と訊き返すと、少し戸惑ったような表情で「うん、きっと・・・」と答えた。
 きっぱりとは、言い切らなかった。だけど可能性は、残された。
「そうか・・・ そうですよね。きっと工藤さんは、認知症は無いですよね・・・」
 遠くに視線を移して、自分を納得させるように、そう呟いた。
 ところがすぐに、川島さんの怪訝そうな低い声が聞こえた。
「しかし、藤原くん・・・」
 その声に視線を戻すと、川島さんは何処と無く、硬い表情をしていた。
「工藤さんが認知症かそうでないか、それを見定めることは、そんなに重要なことかい?」
「え?」
 突然の質問に、戸惑った。
「認知症の有る人が言う言葉は、総て有りえないことだと思うかい? 逆に、認知症が無い人が言う言葉なら、総て真実だと思うかい?」
 立て続けに訊かれて、固まった。
「認知症の診断が無い人だって、有りもしない大きな事を言い降らす人はいるし、認知症と診断された人だって、真実をいっぱい語る人はいるよ。私だって時には見栄を張って、事実の何十倍も大きな事を言ってしまうことがあるし、私の祖母は認知症と診断されているけど、戦争当時の事実を、詳細に語るよ」
 何も、応えられなくなった。
「私は、その人が認知症かどうかを決め付けることより、その人が言った言葉を、つまり、工藤さんが言ったその言葉をどう受け止めて、どう考えて、藤原君が工藤さんという人物をどう理解するか、それが重要だと思うんだ。認知症という病気は、とても偏見を受けやすい。その偏見や先入観は、お年寄りその人を見る目を、曇らせる。その人が認知症かどうかを私達が一方的に決め付けて、それを判断材料にする事は、ある意味とても危険なことだよ。」
 俺は当惑を、隠せなかった。
 正直こんな話、大学の認知症研究の権威と言われる教授からも、聞いた事が無かった。いや、むしろその教授がこの話を聞いたら、猛烈に反論するんじゃないかとさえ思えた。
 初めて耳にする見識に、俺は「そうですか・・・」と曖昧な返事しか出なかった。
 しかし川島さんは、そんな生返事では許さないとばかりに急に身を乗り出して、問いただすように「で、藤原君は、工藤さんのその言葉を、どう思うんだい?」と訊いてきた。
 その迫力に思わず視線を落として、しどろもどろで答えた。
「僕は・・・ とにかく、工藤さんが若い頃に日本にサーフィンがあったかどうかは分からないけど、工藤さんはきっと、全く有りもしないようなことを言ったわけじゃないと思います・・・」
 そう言ってみたら、何だか少し、自信が出てきた。
 思わず視線を川島さんの方に戻して、今度はしっかりとした口調で「僕は、そう思います」と付け加えた。
 川島さんは俺のその答えに満足そうに体を戻すと、笑顔になって頷いた。
「そうだね、私も、そう思うよ」
 川島さんも自信に満ちた表情で、そう答えた。そして「しかしそれは私と藤原君の、仮説だ。それを裏付けられるような材料を集めるのが、藤原君の役目だ」と、付け加えた。
 巷のほとんどの介護施設では、「認知症棟」という、認知症の利用者を完全に隔離して介護をする専用フロアがある。入り口にはテンキーで管理された自動ドアが付き、居住棟の窓ガラスは開けられないようになっている。居室には最低限の衣類とベッドしか置いておらず、閑散としている。もちろんそれには、徘徊や異食、収拾をしてしまう利用者の安全を守る為という理由があるのだが、見た目はまるで、刑務所のようで、俺は本能的に、その冷たい空間を好まなかった。
 しかしこの施設には、その「認知症棟」が無かった。認知症の診断が有る、無いを問わず、皆さん、同じフロアで生活されていた。
 俺は最初、戸惑った。どの利用者が認知症が有って、どの利用者には無いのか、必死に覚えようとした。そうしなければ、何か話をしたり、身体介護をしたりするときに困るではないかと焦ったのだ。
 しかし今、川島さんのその話を聴いた瞬間、それがどんなに意味が無く、そしてむしろ、先入観による差別的な考えだったのか、身に摘まされるような思いがした。
 認知症が有ったって、無くたって、目の前にいるその人は、その人なのだ。そこに認知症の定義を当てはめて、差別して向き合う必要は、無いんだ。
 それで良いんだと思ったら、何だか嬉しくなって、思わず俺も、笑顔になった。
「ところで藤原君は、サーフィンをやるみたいだね。自己紹介文に書いてあった」
 改まって、川島さんは突然話を変えた。
 慌てて答えた。
「・・・はい、そんなに上手くはないんですけど・・・」
「だったら、サーフィンの歴史は知っているかい?」
 突然の質問に、戸惑った。
「詳しくはないですが・・・ もともとは、大昔のハワイの人たちが始めたとか」 
「そう、ハワイだけでなく、ポリネシアの人々には、太古の昔から、宗教儀式や王位継承儀式、時には権力争いにも使われるくらい、重要なものだったんだよ」
 平然と言い放ったその専門的知識に、耳を疑った。
「川島さんも、サーフィンをやるんですか?」
 すると川島さんは少し恥かしそうに「いやいや、私はやらない・・・」そして恐縮したように「それに特にサーフィンに詳しいわけでもないよ」と言った。
「だけど実はね、民俗学に興味があって、『日本人のルーツ』みたいな本をよく読むんだよ。その中に、今回の話にちょっとだけ関係ありそうな興味深い一説があったのを、思い出したんだよ」
 川島さんは日誌をテーブルの上に置くと、テレビの討論番組に出てくるコメンテーターのような口調で語り始めた。