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第一章 実習、始まる 3話

 十一月中旬にもなれば、六時も過ぎると、もうすっかり日も暮れて、薄手のコートでも欲しくなるくらいに肌寒い。この辺りでは、日中はまだまだ暖かい日が続くから、俺は上着を着ないで来てしまった。それを少し後悔しながら、施設から歩いて十五分程の江ノ電「七里ガ浜駅」まで歩いた。
駅までの下り坂は、目の前に海を見下ろせる。すっかり日も暮れて真っ黒になった海は、この肌寒さを余計に強く感じさせた。
日中は風もなく、「凪」の様相を見せていた海も、日が暮れて丘から海へと吹く風が強くなってくると、大きな波頭を白く巻き、広大な暗黒の空間に、白いアクセントを付けていた。
 実は俺は波乗りを嗜むのだが、日没頃に吹くこの丘から海に向う風は、なかなか崩れにくくて良い形の波を作ってくれる。
気象学的に言えば、これは海面が太陽の光での温度変化が遅いのに対して、陸は変化が早いと言う温度変化の差から生じる現象だそうで、風は基本的に寒いところから暖かいところへ向けて流れ込むから、日が落ちて間もなくは、先に温度の下がった陸から海へ向かって風が吹く。これを、オフショアという。
 夜が明けて日が昇ると、今度は先に温まった陸へ、まだ温まっていない海から風が吹く。これをオンショアというのだが、こうなると波と風は同じ方向となり、崩れやすくくちゃくちゃになって、波乗りには向かなくなる。
 季節や他のさまざまな気象条件が複雑に影響し合うので、必ずしも単純にこうなるわけでもないらしいが、それにしても今日はまるで気象事典どおりの素晴らしいオフショアが吹き、坂を下っていく俺の背中をグイグイ押してくれるものだから、何だかますます気分が高揚して、柄にもなく鼻歌まで出て来そうになった。
 俺のばあちゃんが、昔からよく言っている。
 『良い潮風は、幸せを運んでくる』ってね。
 
 七里ガ浜駅までの道は、特にどこかに抜けられるような幹線道路ではなく、ただ住宅地と海岸線の国道一三四号線を結ぶだけのマイナーな道路だ。
 しかしその国道の夕方の渋滞と、退勤時間になって少しだけダイヤの増えた江ノ電の踏切との影響で、案外車が混雑している。
 俺は車の間を縫うように歩いて、七里ガ浜駅の小さな駅舎に着いた。
 七里ヶ浜駅は、時間帯によっては無人になってしまう、小さな駅だ。
 江ノ電の線路はただでさえ住宅と路地の合間すれすれを走っているのだが、この七里ガ浜駅は更に、まるで住宅地の路地がそのまま駅になってしまったかのごとく、家の庭先にへばりつくように建っている。
 ホームには「黄色い線より内側でお待ちください」と書かれた看板が立っているが、場所によっては黄色い線の外側より、内側の方が狭いくらいだ。とにかく、全てにおいて「ぎりぎり」という言葉がぴったりの駅なのだ。
 そう書くと、さぞかし利用客の少ない過疎の駅を想像されると思うが、そこは天下に名の知れた「江ノ電」、むしろそこは神奈川県屈指の人口密集地帯となる。もちろん、時期と時間によってだが。
 何しろ観光と生活が混在して利用される電車なので、学生や会社帰りのサラリーマン、鎌倉観光のおばちゃん達やサーファー、そして平日だと言うのに、デート帰りのカップルで溢れかえってやがる。
 しかも江ノ電は単線で、ホームも片側にしかない。
 つまり俺と同じJR横須賀線鎌倉駅方面に向かう客も、逆のJR東海道線藤沢駅に向かう客も、更には途中の小田急江ノ島駅や、湘南モノレール江ノ島駅に向かう客も、全てがこの狭い無人駅のホームに溢れるのだ。それこそ、「ぎりぎり」の世界だ。
 そんな、隣の人の今日の昼飯のニンニクの残り香すら分かっちまいそうな密集したホームの上で、学生やカップル達は秋の夕暮れの冷たい風に、いちゃいちゃと肩を寄せ合っていやがる・・・
 そんなのを横目に見せ付けられていたら、彼女に振られた切なさが急に蘇ってきて、この寒さが余計に深く身に染みた。
 俺はちょうどホームに入ってきた鎌倉行きの車両に、逃げるように乗り込んだ。

 まるでトロッコ列車のように小さな車体。艶のない、アーモンドグリーンとクリーム色のツートーンカラー。ちょっと昔の車両なら、車内がなんとなく油臭くて、木の板で出来た床が、ぎしぎしと音を立てた。金属部品の多くはステンレスやアルミではなく、渋み掛かったくすんだ金色のブラス(真鍮)で出来ていた。俺は、幼い頃から日常の足として親しんできたこの江ノ電が、大好きだった。
 電車に乗ると、俺はいつものように、海の見える方の出入り口の前に立った。帰宅時間真っ只中とはいえ、少し人の間をすり抜ければ、この定位置に着けた。
 真っ黒な海と海岸線を縁取るように、国道一三四号線を照らす街灯と、渋滞に並ぶ車の赤いテールランプの列が、江ノ島まで続いていた。その光の最先端部分、江ノ島展望灯台の中腹には、赤と青の光が点り、その天辺から出る光度三十九万カンデラの白い光の線が、十秒に一回の定期的な速度でこちらを照らしては消えていった。
 俺は高校生のときから毎日学校帰りに見てきたこの景色が、大好きだった。


 「ただいま」
 いつものように、そう言って玄関の引き戸を、カラカラと開いた。
 俺の家は、七里ガ浜駅から三駅鎌倉よりの、「長谷」という駅から歩いて数分のところにある。
長谷駅の駅前通りは、最近ではアンティークな喫茶店やハワイアンの店が出来て、多少リゾート感漂う垢抜けた通りになってきたが、まだまだ古い佇まいの雑貨屋や生鮮食品店を残す、下町風情の商店街だ。
 長谷駅を出て右に曲がり、長谷寺へと続くその商店街をしばらく歩いてから、細い路地を左に入る。路地に入ると、にぎやかだった商店街が、急に閑静な住宅地へと様相を変える。網の目のような路地を更にくねくねと歩いていくと、俺の家はある。長谷寺から見れば、ちょうど展望台の下辺りだ。住所で言えば、長谷三丁目となる。
 自分で言うのもなんだが、うちはご先祖様を遡れば鎌倉幕府の御家人に繋がる、由緒正しい旧家なのだ。
 家はばあちゃんの両親の代が建てた古い木造の日本家屋で、今ではこの辺りでもすっかり珍しい存在になってしまった。傍から見れば立派に見える瓦屋根の門構えをくぐり、玉石を敷き詰められた前庭の踏み石を歩くと、玄関がある。開く時にカラカラと音を立てる引き戸の玄関、最近では本当に見なくなった。だけど俺は、横に開くこの和式の玄関が、なんとなく落ち着けて好きなんだ。

 戸を閉めると、家の奥から「おかえり」と一言だけ、母親の声が聞こえた。
 土間に無造作に靴を脱ぎ捨てると、家の奥へと入って言った。
 玄関からまっすぐ続く長い廊下を歩いて行くと、突き当りの右側に台所の入り口がある。俺は廊下と台所を仕切って掛かっている暖簾をくぐった。
 台所のガスコンロの前に立って、夕食の揚げ物をしていた母親が、人の顔をチラッと見るなり言った。
 「なんだか今度の実習は、うまく行きそうね」
 いきなりのその言葉に、俺は文字通り面食らって仰け反った。
 「なんと・・・」
 母親は勝ち誇った笑みを浮かべて、「帰って来た時の声で、なんとなく分かるわよ。あんなトーンの高い『ただいま』、久しぶりに聴いたわ」と言った。
 そんなに浮ついた声だったのか? 何だか少し、こっ恥ずかしくなった。
 俺は返事も出来ず、逃げるように台所を通り抜けると、隣の居間に入っていった。
 肩に掛けていた荷物をそこらに投げ下ろすと、居間の真ん中にある、まだ布団を掛けていない掘りごたつに足を入れながら、照れ隠しに少し低い声で答えた。
 「介護施設なんて、何処も変わらないよ」
 母親はおかしそうに笑うと、「ふうん」と一言だけ答えた。
 この広い家に、俺と母親は二人だけで住んでいる。父親は、いない。十数年前に、病気で亡くしている。歳の離れた兄貴がいるが、とっくに結婚して、今は千葉県に住んでいる。
 こんなに大きな家に住んでいるもんだから、世間からはさぞかし金持ちなんだろうと見られるが、実際は母親がパートをやりながら何とか生活しているのが現状だ。
 ばあちゃんの両親が残した遺産や、父親が残したわずかな蓄えはあるが、この鎌倉の一等地にある古くてでかい家を維持していくだけで、とてもじゃないが余裕のある生活など出来るはずがない。
 俺は高校まで公立を出て、今は奨学金で大学に通っている。
 「帰るなり座り込んでないで、ちゃんとうがい手洗いをして、それからおばあちゃんの所に夕食を持っていってちょうだい」
 母親が居間に入ってきて、うつ伏せになってウトウトしていた俺に言った。まったく、いつまでも子ども扱いしやがる。
 今「この家に二人だけで住んでいる」と説明したばかりだが、実は正確に言うと、同じ敷地内には、ばあちゃんが住んでいる。所謂「離れ」と言うのか、現代風に言えば二世帯住宅とでも言うのか、建物の一部は繋がっているのだが、玄関は別にあり、俺の家とばあちゃんの家を行き来するには、一度玄関を出なければならない。
 随分前に、ばあちゃんが「みんなに気を使わせたくない」などと言い出して、ばあちゃんの親の代に下宿人が使っていたその「離れ」で暮らすことになった。ばあちゃんは昔から頑固な人で、いくらうちの母親が「心配だから一つの家に一緒に住もう」と言っても、どうしてもその「離れ」で暮らすと言い張って、聞かなかった。
 ばあちゃんは、すこぶる気の強い人だ。きっと年老いて子供や孫にいろいろ世話を掛けたくなかったんだろう。しかし今では逆に、三度の食事をわざわざこうやって運ばなければならないのだから、余計に厄介な事をしてくれているとしか思えない。
 重い腰を上げて、俺は洗面所に向かった。
 「自分で持っていけよ、俺は実習で疲れてるんだから」
 手を洗いながらそう言うと、母親は少し強い口調で返した。
 「嫌よ。おばあちゃん、今日は機嫌が悪いのよ。私が行ったら、また喧嘩になるわ」
 相変わらず、親子仲は悪かった。
 「また何かあったのか?」
 「おばあちゃん、またケアマネージャーさんと喧嘩したのよ。あんまり我儘ばかり言ってケアマネージャーさんを困らせるから、私、怒鳴ってやったの。そしたらいつものごとく、へそを曲げちゃって・・・ まったく、頑固で困ったおばあちゃんだわ・・・」
 昔から、うちの母親は自分の親のことを「おばあちゃん」と呼んでいる。いつ頃からなのか、きっと俺や兄貴が幼い頃に、ばあちゃんのことを三人称で話すときに「おばあちゃんが~」などと言っていたら、いつしか自分が親を二人称で呼ぶときでさえ「おばあちゃん」と呼ぶようになってしまったんだろう。
 しかしばあちゃんはばあちゃんで、その呼ばれ方が大っ嫌いなのだ。「あたしゃあんたのおばあちゃんじゃないよ!」と応戦して、小競り合いが絶えない。母親もそれで素直に呼び方を改めれば良いものを、「もうこの呼び方に慣れちゃったんだから、仕方ないでしょ」などと自分勝手なむちゃくちゃな理屈をつけて、頑固に呼び方を変えない。まったく、手に負えない二人だ。
 しぶしぶ、ばあちゃんの家に、夕食を持って行く事にした。こんな二人をもう一度合わせることは、戦火を再燃させるだけにしかならないことを、長年の経験から良く知っている。そんなことになれば、巻き込まれて迷惑を被るのはこっちの方だ。素直に俺が夕食を届けた方が、よっぽど賢明なのだ。
 「それに今日はいつもより、腰が痛むのよ・・・」
 母親が付け足すように、そう言った。
 うちの母親も、もう六十歳だ。もうすぐ、老々介護の域に入ろうとしている。俺は大学生だから、母親はそんな歳ではないように思われがちだが、兄貴と歳の離れた俺を、割りと高齢で出産している。
 俺は母親から、御盆に載せられたばあちゃんの夕食一揃えを受け取ると、玄関を出て、ばあちゃんの家に向かった。