第七章 別れ 3話
「この度は、うちの学生が貴施設にとんだご迷惑をお掛けしまして、誠に、失礼しました。深く、お詫びをいたします・・・」
かしこまって言って、巡回指導の先生が、頭を下げた。
「本当に、済みませんでした・・・」
母親も、頭を下げた。
合わせて俺も、「ご迷惑をお掛けしました」と頭を下げた。
目の前には、「海の見える丘」の施設長と、川島さんが座っていた。
許可も無く、夜中に勝手に部外者を連れて施設に侵入し、しかも救急車を呼ぶ騒ぎまで起こした。
実習生として、厳罰に値する行為だ。
当然、四週間の実習は無効となり、評価はD。再実習が、必要となる。
大学からは数ヶ月の謹慎処分が降り、留年が、決定した。
親にも、徹底的に絞られた。
衰弱したばあちゃんを連れ出し、またしても入院することになってしまった。更に脱輪させた車を放置して、警察とレッカーが出動する騒ぎにもなっていた。
俺は、消沈した。
自分のやった事が、全て裏目に出たと思った。
大勢の人に、いっぱい迷惑をかけた。
あんなにお世話になった川島さんの顔にも、泥を塗った。
後悔した。こんな自分が、嫌になった。
脱力して、もう、何もやる気が出なかった。
学校も、辞めてしまいたかった。
「藤原くん、君は、実習生の立場をわきまえず、とんでもないことをした。許されないことだ・・・」
最後に、川島さんの計らいで、二人だけにされた。
川島さんは極めて落ち着いた口調で、そう言った。
「本当に、済みませんでした・・・」
理解ある川島さんでも、きっと今回は、許してくれないだろうと思った。
俺は消沈して項垂れたまま、そう言った。
「しかし人として、君のやったことは、とても素晴らしいことだったと、私は思う」
その言葉に驚いて、顔を上げた。
川島さんは、いつもの優しい笑顔で、俺を見ていた。
「良く、勇気を出したね。私は主任として、そういうことの出来る介護職員が、ほしいんだ」
その優しい眼差しに、涙が、込上げてきた。
「藤原くん、一年間、待ってるよ。もう一年頑張って介護の勉強をして、卒業したら、必ずうちに来てくれ。約束してくれるかい?」
その言葉を引金に、涙がこぼれ落ちた。
こんな俺でも、認めてくれる、人がいる。必要としてくれる、場所がある。
涙が次から次へと零れ落ちて、止まらなかった。
「・・・はい・・・ ありがとうございます・・・」
震える声で、辛うじてそう答え、右手でごしごしと、涙を拭いた。
川島さんは笑顔のまま、何も言わずに、ハンカチを差し出してくれた。
俺は病院のベッドの横に座って、ばあちゃんに、じいちゃんと関わった四週間の全てを、話した。
出会いから、殴られた事、夕日に涙を流した事、板子の乗り方を教えてもらった事まで、細かく話した。
ばあちゃんは時に涙ぐみ、時には笑顔を見せて、聞いてくれた。
「賢ちゃん・・・ 死にたいなんて思っちゃ、やっぱりダメだったんだね・・・」
話が終わると、ばあちゃんは天井を見て、そう呟いた。
「うん・・・」
「武次郎さんは、ずっと生きていた。たった一人で、苦しみに耐えながら、生きてきた。私には家族がいたけど、あの人は死ぬまで、たった一人だった。あたしも頑張って生きてきたから、最後にあの人に、会えたんだ。頑張って生きていれば、最後には必ず、その意味が見出せる。生きているってことには、必ず意味があるんだ。決して、諦めちゃ、いけないんだね」
そして涙に潤んだ瞳で俺の顔を見ると、照れ臭そうに笑って、言った。
「賢ちゃん・・・ 大変な騒ぎになっちゃったみたいだけど、あたしはあんたに、心から感謝しているよ。本当に、ありがとうよ。あたしの人生は、本当に波乱に満ちた人生だった。だけど最後に、心から愛した人に会うことが出来た。本当に、幸せだよ」
ばあちゃんは、「幸せだよ」という言葉を、とても丁寧に言った。
その言葉が、俺の胸に深く刺さった。
人を、幸せにする。
簡単なことでは、ない。
何が幸せなのか、定義もない。
だけど一つの、決心をした。
俺はこれから、一生この「幸せ」と言う難題と、真っ向から対決してやる。
答えは、簡単には出ないだろう。
だけど諦めずに、それを突き詰めて行ってやる。
だってそれが、介護士の、仕事なんだ。
神さまから与えられた、俺の、仕事なんだ。