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第三章 海洋歴史ロマン 3話

 家に帰ると、早速パソコンを開いて日本の波乗りの歴史を調べることにした。
 きっと二昔くらい前なら、学生が何か調べようと思えば本屋か図書館に行ったのだろうが、今では自宅で簡単に、しかも本屋や図書館などとは比べ物にならないほどの膨大な情報を手に入れることが出来る。まったく、便利な世の中になったものだ。
 ただし、落とし穴も多い。自由に情報を公開出来る場であるから、その分その信憑性が問われる。ただ聞きかじった噂を確実な情報のように書いたり、あくまでも個人の主観を、それが正論であるかのように書かれたりしている場合がある。だから情報を鵜呑みにせず、出所までしっかり調べないと、むしろ混乱に陥ることになる。俺は大学のレポート作成で、この落とし穴にどれだけ苦労させられたことか・・・
 話がそれた。
 まずは「イタコノリ」で調べてみる事にした。文字は「板こ乗り」か、「板子乗り」といったところか。それで検索してみる。
 すぐに、意外なほど多くのヒットがあった。
 片っ端から開いて、読み漁った。
 『【板子乗り】とは、日本に古くからある海の遊びで、一枚の木の板に腹ばいになって波に乗る』
 いきなり、来た。
 要するに、現代のボディーボードのようなもので、板の大きさは今のそれより一回りほど細く、薄く平らで、洗濯板のようなものらしい。使う人によっては先端に握るための穴を開けていたようだ。
 大正時代には、俺の地元鎌倉や藤沢の鵠沼、大磯辺りにふんどし一丁、木の板一枚で波に乗る若者たちがぼちぼちいたそうだ。
 因みに文献上に残る日本最古の波乗りは、江戸時代後期、山形県の俳人が湯野浜という海岸で子供たちが板で波に乗って遊んでいる姿を日記に書き残している。その頃は「瀬のし」と言われていたらしく、漁師がやる遊びだったらしい。後に「板子乗り」と言われるようになって、大正時代にはなんと、商品化もされていたようだ。
 つまり漁師や沿岸部に暮らす人たちにとっては、意外にもポピュラーな遊びだったようだ。むしろこんなにもポピュラーであったはずのものが、俺を含めてほとんどの現代人が知らないということに驚いてしまうほどだった。
 その後も、それこそネットサーフィンをして、民俗学などの関連記事も含めて読み漁った。その中の話と、今朝の川島さんの話を照らし合わせて、俺なりに考えてみた。
 戦後まで、日本人の職業のほとんどは世襲制であり、特に第一次産業においてはほぼ確実と言って良いくらいだっただろう。つまり農家の子は農家、漁師の子はいつまでも漁師だ。だとすると、戦前までの漁師は、農耕をもたらした渡来人とはあまり混血せずに、ずっと海で漁を続けてきた原住海洋民族の血を濃く残しているはずだ。つまり日本の漁師の文化に「瀬のし」が残っているのは、遠い海洋民族の先祖の文化が、日本においても生き残っていたと言えるんじゃないか。
 所謂俺たちの言う「サーフィン」は、ハワイ島を見つけたクック船長が初めて西洋に伝え、ハワイに住む西洋人がアメリカ本土に広め、戦後になって、日本に進駐してきたGI達が鵠沼や鎌倉の海岸でやっているのを地元の若者がまねをして定着したというのがおおむねの定説だ。
 しかし日本には、太古から独自の波乗りが存在していたのだ。
 余談だが、近年ホクレア号という古代のハワイアンカヌーの復現船で、羅針盤やGPSなどを一切使わず、星と太陽の位置、潮や風の向きと力だけを使った古代の航法で太平洋を航海してきたハワイ人の冒険家「ナイノア・トンプソン」の若い頃に、海の基礎知識を伝授したのは、ハワイに移住した日本人の漁師だったという。もちろん、これは単なる偶然にしか過ぎない話なのだろうが、その運命的な引き合わせに、何か不思議な因縁のようなものを感じる。
 長くなったが、だから俺たちが「サーフィン」などと呼ぶアメリカ輸入の波乗りをするずっと以前から、じいちゃんたちが日本古来の波乗りをしていたのは、民族の血がそうさせるごく自然なことなのだ。
 そう考えたら、急にじいちゃんの顔がポリネシアンに見えてきた。色が黒く、顔の掘りが深くて眉毛が太い。背は高くないが、がっちりとしていて骨太。きっと若い頃には、その逞しく引き締まった身体を六尺ふんどし一丁にさらけ出し、荒れ狂う大波に板子一枚引っさげて勇ましく挑んで行ったのだろう。
 正に、海の男! なんという男らしさ! なんというヒロイズムだろう!
 海洋歴史ロマンの一端が、今、紐解かれた。海洋民族の血を受け継ぐ伝説のヒーロー「工藤武次郎」は、まさにその主人公にふさわしい。
 ところで、実は俺も、じいちゃんに近い風貌をしている。色黒で、げじげじ眉毛の骨太だ。唯一救いがあるとすれば、顔の掘りが深くてパッチリ二重瞼だという事くらいか。俺は鎌倉御家人の子孫のはずなのだが、大学の教授からはよく「藤原は典型的な縄文顔だな」などと言われる。しかし東国武士団の祖先は蝦夷であったも言われているから、鎌倉武士の子孫の俺が縄文顔なのも、全く筋違いな話ではないのかもしれない。
 部屋で一人、すっかり歴史ロマンの世界に浸りきってしまった。
 やはりじいちゃんが言った言葉は、真実だったんだ。あの時本当に、俺に思い出話をしてくれていたんだ。
 嬉しかった。本当に嬉しかった。早く春菜さんに、知らせたかった。
 俺は椅子を傾け、両手を頭の後ろで組んで身体を伸ばした。そして部屋の隅のラックに掛けてある、自分のボードに目をやった。兄貴にもらった、ハワイ製のビンテージウッディーボードだ。年季は入っているが、いつもながら、美しい木目に惚れ惚れする。
「久しぶりに、俺も海に出るか・・・」
 一人そう呟いた瞬間、突然、思い出した。
「あ!」
 思わず、椅子から転げ落ちた。
 そう言えば、ばあちゃんの部屋の納戸にあった、あの板切れ・・・
 俺が波乗りを始めた頃、ばあちゃんが突然、「賢ちゃん、良かったらこの板、使ったらどうだい?」とか言って納戸の奥から引っ張り出してきた、得体の知れない薄汚い板切れがあった。
 あの時は、ばあちゃんがまた性質の悪い冗談でも言って俺をからかっているのかと思って、「そんなもんで波に乗れるかい!」と大笑いをしただけで無視をしたが、今思えば、ばあちゃんはそれを真面目に俺に貸そうとしていたんじゃないか。
 そう、もしかしてあれは正に、「板子」だったんじゃないか・・・
 身体が、震えだした。椅子から落ちたからじゃない。俺はもしかしたら、この歴史ロマンの渦中にいる、一人の登場人物なんじゃないか。
 こんなすぐ近くに、板子を知っている人物がいるかもしれない。そう思ったら、いてもたってもいられなくなった。ケツを虻にでも刺されたような気分になって、むず痒くて仕方がない。
 時計を見た。
 零時を、過ぎたところだった。
 まさかこんな時間に、ばあちゃんの家に行くわけにはいかない。ばあちゃんはとっくに入眠して、いい夢でも見ている頃だろう。
 地団駄を踏んだ。
 仕方がないから、俺もベッドに飛び込んだ。こうなったらとっとと寝ちまって、明日朝一番でばあちゃんの家に行こう。そしてあの得体の知れないボロ板の正体を、暴いてやる。
 興奮して、なかなか寝付けなかった。眠ったとしても、浅い眠りばかりで、現実と区別の付かない夢ばかり見る。そんな中、俺が大海原を駆け巡る、海洋歴史ロマンの主人公になったのは、言うまでもない。