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第二章 出会い 1話

 「おはようございます・・・ 昨日から特養で実習させていただいています、県立医科大学四年、藤原賢治です。よろしくお願いします・・・」
 今までの実習でも、更衣室に入る瞬間は、特に緊張した。だから自分でも情けなくなるくらい、相変わらず、しょぼい挨拶になってしまった。
 特養では昨日自己紹介もしたし、一日実習もしていたから、名前はともかく顔くらいは覚えてくれた職員がいると思うが、この更衣室兼休憩室は特養だけではなく、デイサービスや事務所や調理、施設管理の職員まで全員が使う。だから、俺のことを全く知らない職員も、大勢いる。入るなりいきなり自己紹介をした俺に、更衣室にいた職員皆が、一斉に視線を向けた。
 思わず、息を呑んだ。
 「おはよう! よろしくな!」
 その中の一人、白い調理服を着た、がっちりとした体格の一見強面の年配の職員が、情けなく佇む俺に気遣うように、優しい笑顔でそう言った。
 その大きな声に触発されたように、他の職員たちもそれぞれ「おはよう」と俺に声を掛けてくれた。ひとまず緊張の儀式を済ませ、ホッと胸をなでおろした。
 俺は急いで更衣室の隅にバックを置くと、実習着に着替える。実は、遅刻しそうなのだ。昨夜は久しぶりにばあちゃんと遅くまで話しちまった上に、実習日誌を書くのに手間取って、すっかり寝るのが遅くなった。おかげで、寝坊した。
 実習着は、学校指定のベージュの綿パンツと、学校名が小さく胸にプリントしてある白い半袖のポロシャツに、エプロンだ。
 この実習着は、わりと気に入っている。学校によってはダサいジャージだったりするが、この綿パンツとポロシャツの組み合わせは、なかなかよろしい。
 だけどどうしても、エプロンが気に入らない。いったいどうしてエプロンなんだ。
 エプロンにはA5サイズくらいのゼッケンのような名札が付いていて、そこには大きな文字で学校名と自分の名前が書いてあるから、お年寄りにも分かりやすく、実習生であると言う見分けも付きやすい。この名札をポロシャツに付けるわけにはいかない。それは、分かる。
 しかし俺は意外と保守的な人間で、男がエプロンを着けるということに、そこはかとない違和感を覚える。こんなことを言うと、最近ではジェンダー論争にでもなってお叱りを受けそうだが、これは俺の主観なのだから、仕方がない。俺は今日も微妙な心持で、エプロンを着けた。
 着替えが終わると、昨夜遅くまで掛かって書いた実習日誌を、バックの中から取り出した。実習日誌とは、実習中、毎日作成しなければならない記録のことだ。表に学籍番号、名前、その下に一日のスケジュール、何をやったのかを時間ごとに細かく書き、裏には一日の反省、考察を書く。それにしてもこの裏面を隙間なく埋めるのが、なかなか難儀なのだ。
 その苦心の作を掴んで、特養のケアワーカールームに急いだ。
 この施設は急斜面にへばりつくように建っているので、更衣室のある一階は、半地下になっている。特養は三階になるのだが、通用玄関は斜面の上部、中央階にあり、玄関から見れば建物は二階建てに見える。
 俺は一段飛ばしで階段を駆け上がり、三階の特養フロアへ向かった。
 フロアに着いたら、もう走ってはいけない。そこはもう、お年寄りの生活の場なのだ。俺は少し早歩きで階段前の集会フロアを通り抜けて、ケアワーカールームに向かった。ケアワーカールームはガラス張りになっているから、中の様子が見える。ぎりぎりセーフ、まだ申し送りは、始まっていないようだ。
 俺の家から施設までは、わりと近い。歩いて数分の「長谷駅」で電車に乗れば、三駅で「七里ガ浜駅」まで着いてしまう。七里ガ浜駅から施設までは徒歩十五分から二十分。合計、三十分から四十分程度だ。
 しかし遅刻しそうにもなると、意外と体力勝負となる。七里ヶ浜駅までは良いが、そこから先は、強靭なアスリート魂が必要となるのだ。
 七里ヶ浜駅は海岸っ淵。対して施設の門は、丘のてっぺんにある。入るには、施設脇の急な坂道を、丘のてっぺん目指して登っていかなければならない。しかし、やっとの思いで坂を登りきり、門を潜ったとしても、安心してはいけない。まずは職員や来客用の広大な駐車場がある。その真ん中を突っ切ってまっすぐ伸びる道を数十メートル走ると、ようやく施設の正面玄関にたどり着けるのだが、まだまだ安心してはいけない。ここからがむしろ、残酷な現実を叩きつけられる場面なのだ。
 やっとたどり着いたモダンな佇まいの玄関は、あくまでも「正面玄関」なのだ。つまり来客や施設のお年寄り、家族や送迎用で、実習生や職員は、建物の半地下の一階部分、つまり斜面の一番下にある、職員専用口から出入りしなければならない。
 せっかく施設の正面に着いたというのに、今度は建物の脇の階段を、最下部まで駆け下らなければならない。苦労して登ってきた坂道を、フェンスの外に眺めながら階段を駆け下る気分は、まさにアスリートの過酷なトレーニングとしか思えない。駅から施設の門まで走り、更には更衣室、特養フロアまで走ることを考えると、さながらフルマラソンにでも出場する覚悟で臨まねばならない。
 まったく、フェンスを乗り越えてしまうか、もしくは坂の下に職員専用の門でも作ってくれれば、こんな無駄な遠回りをしなくて済むのにと、恨めしくなる。おかげで俺は、ケアワーカールームでまだ申し送りが始まっていないのが見えた瞬間、トライアスロンのゴールにでもたどり着いたかのような達成感で胸がいっぱいになったのだ。
 息を整えると、ゆっくりとケアワーカールームのドアを開ける。
 「おはようございます。今日も一日、よろしくお願いします」
 その言葉に応えて「おはよう」と言ってくれる職員もいれば、こっちをチラッとも見ない職員もいる。
 中に入って、言われていた通り、実習日誌を川島さんのデスクの上にある、「実習日誌入れ」と札の付いた引き出しの中に入れる。
 俺は毎朝必ず、ケアワーカールームで行われる「朝の申し送り」に出なければいけない。「朝の申し送り」は、夜勤者から日勤者へ勤務が変わる際に行われる、ミーティングのことで、夜間どんなことがあり、どのお年寄りがどんな体調かなど、細かに報告される。同様に夕方にも「夕の申し送り」が行われ、これは逆に日勤者から夜勤者へ、日中の様子が報告される。
 既に夜勤者が一人、L字形に並べられたデスクに数台置かれているパソコンのうちの一台の前に座って、申し送りの準備を始めていた。
 俺は部屋の隅にかしこまって立つと、昨日と同じように、ケアワーカールームをぐるっと一周見渡した。特養の勤務はシフト制だから、昨日とはまたずいぶん職員の顔ぶれが違う。
 介護職員の制服の定番と言えば、普通「ジャージ」と相場が決まっているが、この施設はそうではない。男子も女子も、薄水色のナース服のようなものを着ている。介護の仕事は動きが激しいので、冬でも半袖で、女性職員もスカートではなく、パンツ型だ。この制服は、清潔感があって、とても素晴らしい。
 最近ではジャージが制服でない施設も増えてきているようだが、介護職員も全員ナース服のようなものというのは、特養ではまだ珍しい。
 制服というのは、実はとても大事なものだと、大学の臨床心理学の教授が、いつだか雑談交じりに話していたことがある。その教授は、介護職員の「ジャージ姿」に、疑問を感じると言っていた。そして俺たち学生に、「自分の仕事着がジャージだった場合と、専門職を表す制服だった場合、仕事をしているときの気持ちはどうだ?」と質問した。俺は単純に、圧倒的に後者のほうが気持ちが引き締まるし、責任感が沸くと思った。また、介護を受ける側も、その家族も、ビジュアル的に専門性を感じて、安心感が得られるのではないかと思った。
 その教授が、「脱ジャージ」は、介護職員の専門職としての意識と地位を向上させる為の第一歩だと語っていたのを、強く同感して聞いていたのを思い出した。
 それぞれ、まだ椅子に座ってパソコンのディスプレイに向かって昨日の業務日誌を読んでいる職員や、黙って腕を組み、目を閉じている職員、あくびをして眠そうな職員や、朝から元気にふざけ合っている若い男性職員たちもいる。
 「新しい実習生?」
 「うん、昨日からだよ」
 などとコソコソ話している若い女性職員の声も聞こえるが、俺は黙って立っている以外にない。
 もう九時半になろうかという時に、ケアワーカールーム内の別の扉がガチャっと開き、隣のナースステーションから、看護師四名と、書類を脇にいっぱい抱えた川島さんが入ってきた。
 川島さんは書類を机の上に置くと、皆の方へ振り返って「おはようございます」と合図でも送るような、改まった声で言った。その言葉に返すように、職員が皆、大きな声で「おはようございます!」と揃えた。
 「それでは、夜勤からの申し送りを始めます」
 報告を行う夜勤者が切り出し、いつもの申し送りは始まる。


 「ほら、ボケッと突っ立ってないで、そこでテレビを見ているお年寄りを浴室に誘導して!」
 朝っぱらから、いきなり怒鳴られた。目尻の釣り上がった、ヒステリーそうな女性職員だ。ケアワーカールーム前の集会フロアで車椅子に座ってテレビを見ていた男性のお年寄りを、浴室に連れて行くように言われたのだ。
 お年寄りを別の場所へ連れて行くことを、介護用語で「誘導」と言う。何だか物でも運ぶような無機質な言い方で、俺は好まない。
 午前中の実習は、男性のリフト介助浴だった。
 リフト介助浴というのは、車椅子で生活しているお年寄りに、専用リフトで座ったまま入浴してもらう介助を言う。
 申し送りが終わった直後から、戦場のような入浴介助は始まった。何しろ昼食準備の始まる十一時までのたった一時間半で、十五名のお年寄りに入浴してもらうのだ。
 そう聞くと、そんなに大変ではないように思うかもしれないが、浴室にはリフトチェアが二台、リフター(リフトチェアを浴槽に入れるクレーン)が一台しかない。だから同時に二人湯船に入ることは出来ず、一人が湯船に入っている間、一人が洗身介助を受ける。湯船に浸かっていたお年寄りが上がると、洗身介助の終わったお年寄りが湯船に入る。空いたリフターに次のお年寄りが座り、洗身介助を受ける。まるでベルトコンベアーの流れ作業のように、一連の動きを繰り返していく。さながらフォードシステムかトヨタシステムでも取り入れたのかと思えるような、手際の良さだ。とても人間を扱っているとは、思えない。
 ハード面にこれだけ制限があるのだから、のんびり心地よい入浴風景など、有り得ない。更に、入浴介助を受ける側のお年寄りが、必ずしも協力的とは限らない。なぜなら、ここで生活するお年寄りの半数以上は、認知症により、「入浴」が理解できないからだ。人間の自然の性で、理解が出来なければ、拒否をする。それが男性のお年寄りにもなると、拒否に暴力が付いたりもする。
 認知症は、一昔前は「老人ボケ」「痴呆」などと言われたが、加齢と特定の脳の障害により物事を理解、記憶、認知する事が困難になる、もしくは出来なくなる脳の病気のことだ。